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  新還都論 Ⅱ 「まつりごと」とは何か
        (世界戦略情報「みち」平成15年(2663)5月1日第161号)

●先号に「新還都論」なる一文を草したが、今にわかに「大和・飛鳥へ還都せよ」などと唱えれば、何たる時代錯誤、狂人のたわごとと嗤われるかもしれない。それは覚悟のうえである。当今の世風からすれば、奇矯の言であることを承知のうえであえて言っている。
 明治御一新以来すでに百三十有余年、首都が東京にあることに疑いをもつ者は、皆無であろう。繰りかえし言う。「首都東京」は臨時措置であった。それが時の経過のまま放置されて、常識と化したにすぎない。
●国家とは何か、民族とは何か、という本質からすれば、わが近代国家百年の大計は易きに流れたと言うべきである。亡国の危うきにさらされた国難を凌いで、新しい装いの下によくぞ日本を存続させたことは、語り継いで余りある先人の偉業である。だが、形ばかり残って本質たる中味を失っては、何の意味もない。外に備えるに外に倣うこと急であったことは論を待たないが、日本が日本たることの本質を不断に更新する努力は等閑にされて、いまやその必要を感じる者すらわずかである。
日本はいま亡国の瀬戸際にある。
●改めて言うが、これはけっして歷史の自然の然らしむるところではない。国家を解体し、社会の紐帯を断ち切って、家族を崩壊させ、国家をバラバラな個人の寄せ集めにすぎない烏合の集団へと転化させたい一派があって、われわれはその思想工作に骨の髄まで洗脳されかかっているのである。試みに一七七六年の「イルミナティ綱領」や一八四八年に発表された「共産党宣言」を見よ。両者の酷似は当然のことだが、そこには共通して国家解体・家族崩壊のプログラムが露骨に表現されていることに気づくであろう。
●国家・民族解体、家族崩壊の思想戦を戦うためには、日本が日本たりうべきギリギリの本質は何か、これを失えば日本が日本でなくなるような最後の一線とは何なのかを明確に承知していなければならない。
 私見によれば、日本の本質とは、一天万乗の天皇陛下を戴いて君臣相和し、肇国の理想たる神国の建設に邁進することにある。神国とはひとりわが日本の繁栄を謂うのではない。今日の言葉でいえば、地球共存、世界協和とでもいえようか。
 日本にとって「まつりごと」とは、この理想の誓約を神人ともに更新する「祭ごと」と、この理想を具体的に施策する「政ごと」とに分かれるが、順序からすれば「祭ごと」が主であり、「政ごと」はそれを承けて行なわれるのである。「まつりごと」総体の責任はあげて天皇陛下にあり、「政ごと」の実行責任者は、勅を受けてその任に当たる。政策実行者は時代によって大連・大臣であったり、太政大臣であったり、はたまた征夷大将軍、総理大臣であったりしたが、「まつりごと」の總責任者たる天皇陛下の勅を受けて任に当たったことに変わりはなかった、……この度の敗戦までは。
●これを支那・西洋流の唯物論的国家観から見れば、あたかも二人の王が統治しているかのごとくに見えることから、「二王制」と誤解する向きもあるが、けっしてさにあらず。二王が並立していると見るのは、神人共知の本質を見誤った謬見である。
「二王制」といえば、中央アジアに覇を唱えた突厥が唐に敗れ西方へ長駆してカスピ海西岸域に建国したハザール王国が聖王・俗王の二王に統治されたとの伝承があるが、いまだつまびらかではない。
 また、中世西欧における神聖ローマ皇帝とローマ教皇の対立も、国家にとって本質的な二王制実現の途上で頓挫した苦渋の歷史だったとも考えられる。
●わが国において、「まつりごと」の衰微は、崇神朝の同床共殿の廃止からはじまった。すなわち、天照大御神のお祭りを宮中において天皇陛下みずから行なわれることを廃止し、別所に別職(齊宮)をもってお祭りすることに変わったのである。わが日本の本質を取りもどすには、ここに歸る必要がある。

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