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 相曽誠治「文明の立体史観」
    (世界戦略情報「みち」平成16年(2664)7月1日第187号)

●相曾誠治氏は人間は猿から進化した存在ではなく、魂を神から授かった尊い存在であると断言しているが、すでに一三、四歳のころダーウィンの『種の起源』について学んだときに、「進化論」に対する疑問を抱いたのだという。

 十三、四歳のころのことです。中学校でダーウィンの『種の起源』(進化論)を学んだときに疑問を感じ、教師に質問しました。
「進化論は猿が進化して人間になったと説いていますが、猿が人間に変化した過程を立証する化石は発見されているのでしょうか?」
「寝言を言うな。そんな化石などあるはずがない。人間は猿から進化したことになっているのだから、すなおにそう思いなさい」
「いいえ、わたしは納得できません。確かな証拠を見せていただくまで信じられません。わたしたち人間は神様の子どもというふうに母から教わっています。猿が人間になったとは聞いておりません。進化論が説明するように、もし人間が生物学的にこれからもどんどん進歩していくのでしたら、次の段階ではいったいどんな生物になるのですか? まさか神様ではないでしょうね」……
 今、世界を支配しているのはダーウィンの生物学的仮説を更に推し広めた進化論思想です。ダーウィンの進化論は純粋な仮説ですが、進化論思想となりますと、ある系統のかたがたが苦心惨憺して改良(でっちあげ)した政治的思想(革命思想や平面的歴史観)です。
 進化論が真理というのなら、人間が進化して神になるというわたしの説も決してへ理屈ではないはずです。このような意見が出てくると困るのが進化論思想に染まっている生物学者たちではないでしょうか。『古事記』や『日本書紀』などでは日本民族は神の子孫として伝えられており、神話を否定するに足る化石や科学的根據は現在のところまだ発見されておりません。
(『超古神道Ⅰ サニワと大祓詞の神髄』一一五~一一七頁)

●相曾氏は「進化論」が単なる学問的仮説であるにもかかわらず、これを「進化論思想」にデッチ上げ、植民地支配の正当化に利用した勢力があることを見抜いている。また同時に、「無神論」を前提にする「進化論」は弱肉強食の論理を是とすることによって、革命の思想の最大の根據となっていることも、相曾氏は指摘している。
「この世には神もなく、正義もなく、ただ強い者が支配する」という歴史観を、相曾氏は「平面史観」と呼んでいる。平面史観から脱却しないかぎり、この世界はいつまでも憎悪と闘争の歴史を繰り返すほかはない。
●ダーウィンの「進化論」のパトロンとなり、ほとんどの近代科学のスポンサーとなったのは、「東インド会社」であった。単に紅茶と胡椒と阿片とを交易した貿易商会だと思ったら、大間違いである。ヴェネツィア→オランダ→英国と司令塔を移動しつつ世界の支配を狙いつづけた闇の勢力が結集した東インド会社は、近代という闘争の時代の真のプロデューサーであった。
 その惨禍・弊害は彼らの植民地のみならず、いまや世界中に及び、地球そのものが運命共同体であることが自明となった今日では、皮肉にも彼ら自身とて惨禍を免れない。
 文明と文明が互に憎悪をぶつけあって虐殺・殲滅の限りを尽くすような余地は、もはやどこにもないのだ。
●神はたしかに存在し人間の魂は神から戴くのであって、この世には厳然として正義と倫理があり、人として踏み行なうべきみちのあることを、相曾氏は神に導かれてみずから体験した。そして、そういう世界観・歴史観を「立体史観」と呼んでいる。
 人間は神の子孫であり神と共にあるという、この立体史観こそ、「文明の衝突」を超克する原理となりうるはずだ。相曾氏が示唆してくれたこの原理を、「文明の立体史観」と呼べるまでに育て上げることは、神と共に生き神に育まれてきた日本人の使命なのである。

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