みょうがの旅    索引 

                    

  相曽誠治「ほんとうの産土信仰」
        (世界戦略情報「みち」平成16年(2664)8月1日第189号)

●相曾誠治氏が「ほんとうの産土信仰」というテーマで人の生まれること、死ぬこととは何かを分かりやすく説いた話が、相曾氏の著『言霊と太陽信仰の神髄』の中に収録されている。それを読んで、私は深い感銘を受けた。それは喩えていえば、「青い鳥」という寓話が教えているように、大切なものを遠くに求め、求めあぐねていたところ、実は以前からすぐ足許にずっと変わらずあったのだと分かったような感動である。
 相曾氏は、人が生まれるということを、次のように説明している。

 人間が生まれるとき、目には見えませんが、産婦の枕頭(ちんとう)に産土神と伊勢(日神)の使神が必ずおそろいで臨まれます。産土神から報告が行きまして伊勢神界から妊婦の所に使神が派遣されます。天津系と大地系、両方の分魂がそろって人間が誕生します。そういう意味では伊勢も出雲もともに産土神です。(同書一四二~一四三頁)

●人が生まれてくるとき、必ず産土神と伊勢の使神とが立ち合って、国津神の分け御霊、天津神の分け御霊を生まれてくる子供に授け、それを頂くことによって子供は誕生するのだという。相曾氏はさらりと語っているが、この意味するところは、深い。
 こういう簡単なことがよく分かっていれば、それがわれわれの思いの基本にすとんと据わっていれば、「人は何のために生きるのか」とか「人間とはいったい何なのか」とか、どれほど多くの煩悶や悩みに苦しめられないで済むことであろう。
 人間同士が勝手に子供を産むのではない。人が生まれるということは、必ず神さまが立ち合ってその分け御霊を授けて下さるということなのである。この意味で、人間のひとり一人が紛れもなく「神の子」なのだ。
●では、人が死ぬときは、どうなるのだろう。死ぬということについて、相曾氏はこのように説く。

 死にますと魂と魄が分解します。和魂・荒魂と奇魂・幸魂とに分かれます。和魂・荒魂は今まで住んでいた住居に残ります。家の棟の辺りにふわふわ漂っています。だんだん日がたち、五十日ぐらいしますと、そろそろ家から離れて墓所などに行きます。ですから五十日祭、仏教では四十九日忌でいちおうけじめをつけているわけです。和魂と荒魂は三十年くらいしますと自然消滅、崩壊します。それゆえ、年忌はだいたい三十年で終わるようになっています。
 奇魂と幸魂は日神から頂いたものです。ですから帰幽しますと奇魂と幸魂は古巣の太陽神に帰っていきます。(同書一四二頁)

●上にいう和魂(にぎたま)・荒魂(あらたま)と奇魂(くしたま)・幸魂(さきたま)についても、分かりやすい説明がある。

 わたしたちの霊魂は一霊四魂といわれております。和魂と荒魂は肉体をつかさどり、魄(はく)と呼ばれ、産土神の分魂になります。大地系の分魂です。
 奇魂と幸魂は魂(こん)と呼ばれて天照大御神の分魂です。天津神系です。
(同書一四〇~一四一頁)

●「ほんとうの産土信仰」について相曾氏はズバリこう言う。

 ……大所高所から見たほんとうの産土信仰とは、日神系と大地系の必ず両方に報恩感謝のお祭りをいたします。これがほんとうの正しい産土信仰です。
 更に、本来、一霊四魂は魂(天津系)が主で、魄(大地系)が従です。大地系を中心に祭る産土信仰はふじゅうぶんであり、本質を見失った本末転倒の産土信仰です。……人間には二種類の分魂が宿っています。天照大御神から頂く魂が中心で、出雲の神から頂く魄が従です。魂が主役で魄はわき役です。したがいまして、天照大御神の地上の代表である御皇室に忠勤を励むのは当然のことわりです。主役である魂の故郷は天照大御神だからです。(同書一四三頁)

 これ以上付け加えるべき言葉はない。ただ、じっくりと噛みしめ日々行うのみである。

inserted by FC2 system