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 立体的「ツラン同盟」の結成を!
    (世界戦略情報「みち」平成17年(2664)12月1日第196号)

●ここに紹介するのはベーカーシ・ジュンジという名前のハンガリー人女性が今から七〇ほど前、「ツラン民族」同胞と見なした日本人に向けて訴えた一文である。七〇年も前と言えば、もちろん日本が大東亜戦争に敗北する以前の話である。だが、その叫びはこの間の時間の経過を超え、われわれの魂に響くものがある。それは時代とともに色褪せるものではなく、むしろ幾多の国難と試練とを経れば経るほど、ますます輝きを増す性質のものである。なぜなら、その叫びは西欧近代文明に対し激しい違和感と嫌悪を抱く「ツラン民族」へ向けて、新たなる固有の文明を築くように呼びかける訴えだからである。
 今岡十一郎の紹介によれば、ベーカーシ・ジュンジ女史は「洪国(ハンガリー)ツラン同盟」の理論的主導者で、ハンガリーの豪農の娘であった。当時(昭和一六年ごろ)に年齢四〇歳前後であったというから、日本で言えば、明治の末ころの生まれの人である。若いころから熱烈なツラン運動家で、ツラン運動の発展のため自費でもって『戦の道』と題するツラン雑誌を発行し、文化・社会運動に挺身してきた女闘士である。ツラニズムのためなら殉じるも可なりとして、祖国愛・民族愛に燃える珍しい型の女性であった。
 そのベーカーシ女史は昭和八年(一九三三))に大規模なツラン民族運動を提唱して、広くツラン世界全般に檄文をもって呼びかけた。わが日本の要人に対しても、数十頁の覚書を寄せたのであった。「日本國民に訴ふ」と題する以下の一文は、その覚書の序文とも称すべき部分に相当する。
 引用は今岡十一郎『ツラン民族圏』第八章「歐洲におけるツラン民族」の「第十節洪国ツラン同盟の檄」に拠る。常の「巻頭言」の分量を超えて少々長くなるが、女史の訴えに耳を傾けていただきたい。

●「日本國民に訴ふ」
 われわれハンガリー人は過去一千年来、中央ヨーロツパのカールバート盆地に生活して居るものゝ、その魂と自覚においては常にアジア人であつた。このアジア魂を我々の誇りとする洪牙利ツラン民族運動團體の名において、私は、我々の常に敬慕して止まぬ極東の兄弟民族たる大日本國民に訴へる。
 茲に述べることはハンガリー政府筋の意向を反映するものでもなければ、また半官的『洪牙利ツラン協會』の公な意見でもない。……蓋し、私の提訴は日々の現實政治に関係するものではなく、同族の将来の運命、その政治および社会機構等に関するものであつて、その拠る所は最も信頼するに足る歴史的事実、即ち、ハンガリー国民の世代より世代へ伝はるところの民族の聲であり、国民精神の発露であるからである。
 現在ツラン同胞の多くは、あの広大無辺なユーラシア大陸において、ボリシェヴィズムの圧制下に呻吟しつつある。その中の或る者は祖国を捥ぎ取られ、他の者は外国の利益の枷に嵌められてその自由を失つて居る。
 わがハンガリーの隣国たる東欧に住む諸民族の血管には、その地理的・歴史的関係からしてツラン民族の血が多量に流れて居る。されば将来、この共通の種族的・民族的自覚が振ひ興される時、彼等もまた、我等と手を携へ、共同の目標に向つて闘ふであろうことは、諸種の事情からして略ぼ明瞭となつた。然し、悲しい哉、現在彼等は、西欧の使嗾に依り、西とも東ともつかぬ不純な、信頼し得べからざる混合思想たる、汎スラヴ主義に魅せられ、無自覚にも盲動しつつある。
 われわれハンガリー人は、永い間、種族的・民族的・文化的に東洋と西洋との接触點において孤軍奮闘を続けてきた。であるから、東洋のことも我々には能く分る。現に新世界への生みの悩みにもがきつゝあるさまも、また世界の重心が西洋から東洋へ向つて移動しつゝある大きな文化的・政治的地滑りについても、他の西欧諸民族より早く我々は豫知して居たからこそ、将来に対する準備工作として、同族の間に民族的自覚を促す可くツラニズムの運動を起し来たのである。
 由来、東洋民族は、西欧白人の如く能動的攻撃的であるよりは、寧ろ、受動的内省的生活に傾く関係上、創造能力は多分に有してゐても、それを思ふ存分発揮して敵を圧服することが出来なかつた。それゆゑ、西欧の機械文明華やかなりし時代において、われわれ東洋人は、彼等白人により搾取利用される計りで、むしろ悲運の立場にあつた。然るに、この常勝無敵であつた機械文明も今や行詰り、すでに廃頽期に入つたとさへ言はれる。蓋し、極端なる物質主義、極端なる生産の機械化、極端なる社会機構の機械化は、却つて、生ける人間の有機的生活を圧迫し、生物を窒息せしめるからである。すでに無機物化した文明は屍も同様、時と共に腐爛し、毒素を発散して 生ける物を毒さずには措かぬ。そして遂ひにはその生命をも断つに至る。西欧物質文明の腐爛廃頽的産物であるボリシェヴィズムにしろ、国際的マンムート・カピタリズムにしろ、ともに生ける霊魂を圧殺し、極端なる物質主義に偽価値をもつて真正価値に代へ、凡ての生ける個性を単一化せんとするものに他ならぬ。
 由来、東欧のアジア的民族は、異人種の文化たる西欧物質文明とぴったりしなかつたことは歷史に照らして明らかなところである。従つて、この文明が機械文明を得意とする西欧民族におけるよりも、かれら東欧のアジア的民族において、ヨリ容易にヨリ速やかに腐爛崩潰し始めた事は寔に當然のことであつて、この腐爛廃頽の速度を促進したものは、實に、功利的インターナショナリズムを生活の根城とする猶太族であつた。このことは既に前世紀末において判明して居つた。同時にまた、アジア的精神の族長主義的農業生活は、かれら猶太族の得意とする国際資本主義とは無関係に存立し得るため、彼ら猶太族の世界征服的企畫に對し最大の障碍であることも明瞭になつて居た。されば、東洋的族長主義的農業生活形式は、かれら国際主義者に取つては未来永劫而も最大の仇敵である。然るにかれら国際主義者は、東欧のアジア的農業民族の肩に、その異質不消化な物質文明を彌が上にも積み重ね、遂ひにロシアにおいて西欧文明の『腐爛バチルス培養所』を建設するに成功したのである。
 然しながら、既にこの剣呑な国際主義者の陰謀に気付き、それが防衛手段を講じたため、疾患は漸く快癒に向ひつゝある。今日、西欧におけるあの熾烈なる民族主義、國民主義の抬頭は、取りも直さず、西欧諸民族の民族的覚醒であつて、その仇敵たる国際主義者の陰謀・圧迫・残骸を振ひ落さうとする自衛手段に他ならぬ。我々ハンガリー人もまた、この西欧の甦生を心から喜ぶものである。蓋し、これは総ての國家に取つて危険なる国際主義的流行病の終焉を意味するものだからである。然し乍ら、我々が真の甦生を図るためには、われわれ自身で新生活の原理を創建す可きであつて、西欧のものを受け継いで、それに依つて甦生すると云ふことは出来ないのである。東欧及びアジア復興のための新生活道は、ただ、ツラン伝来のアジア精神を明徴ならしめることに依つてのみ達成し得られる。われわれハンガリー人は、ツラン人種の先祖たるスキート族、匈奴族、蒙古族等の欧亜に跨る大版図の極西部における云はゞ国境哨兵である。われわれツラン西部辺境の前哨は、常に、その顔と眼を、日出づる東方民族の彼方、あの偉大なる統一的ユーラシア大民族の東部辺境を護る日本民族の方へ向け、凝視つゞけて居るのである。
 日本・洪牙利間の地理的距離は如何に大なるにもせよ、畢竟、われわれはツラン民族の運命共同体である。況んや、極東の富裕な日本も今日では幾千條の經濟的利害の糸によつて西欧の資本主義と繋がりを有し、かなりこれと密接な関係にあることゆえ、西欧資本主義の崩潰は直ちに極東の国々にもその影響を及さずには措かぬ。また西欧的・物質的・世界征服的・社会主義的毒素の伝搬も、更には蘇聯邦と界を接する国々に侵蝕せんとするボリシェヴィズムの思想的・政策的影響と同様、深甚の注意を払はねばならない。また極端に民族主義的に鎖国しつゝある西欧の國民主義もまたそれ自身において、東洋のためには決して有利なものではない。また西欧が自己の手足の自由を束縛せられつゝある国際金融資本主義の重圧を払ひ落さうとすればするほど、この国際金融主義者の圧迫及び組織的破壊バチルスは、われわれ東洋民族の頭上へ雪崩れかゝつて来ることもほとんど必然的である。
 われわれハンガリー人は、我々の體内に喰入つてゐる極端なる西欧思想を調節するためにもまた、アジア的ツラン的強烈なる国粋主義的思潮は必要なものである。ゆえに我々は欣んで東洋思想を受入れ、さらにこれを西欧諸民族の間にも宣揚せんとさへ思ふのである。また日本は、その生活利益を、例へば、もし将来西欧列強から政治的に遠ざかつた際といへども、なほ對歐貿易を持続せんがためには、歐洲において新たに信頼し得べき連絡者を必要とするであらう。と同時にまた、彼地に到達するために最も安全なる連絡通路が絶対的に必要である。ヨーロツパにおけるこの連絡者の任務は我々ハンガリー人が引受けるであらう。また東亜と西欧を繋ぐ唯一の安全確実な連絡通路は、ツラン同族の居住地帯の他にはないのである。すなわちその順路は、同胞の祖先、ツラン民族の偉大なる人物アッチラ、成吉思汗、チムール等が、悍馬に鞭打ち亜細亜の中心から欧羅巴の心臓ハンガリーまで闖入したあの祖先伝来のツラン大道こそ、我々の欧亜連絡の正道である。されば、目下の我々の急務はこの大道を開拓するために、まづ富士山とカールバート山脈とを繋ぐ文化的橋梁を築くことより切なるものは無いであらう。
 フジヤマからカールバートに至るこの厖大なるツラン民族地帯の大部分においては、現在、東方民族主義を毒するボリシェヴィズムの分解的破壊作用が死の舞踏を演じつゝある。もし将来、それが崩潰し廃虚に帰した暁には、我々は動機不純なパン・スラヴィズムや、デモクラシーの復興と、西欧の植民地政策や、功利主義的技巧生活の復活を防ぎ、生気潑剌たる真の人間生活の更正を図らなければならない。これはツラン西部国境の哨兵ハンガリーの利益であると同時に、東亜安定の擁護者たる日本の利益でもある。この人種的にも地理的にも、はたまた人生観においても統一せる、広々とした原始産業地帯が、惜しいかな、われわれの自由活動の舞台から切離されてゐるため、ツラン西部辺境の小民族たるわれわれハンガリー人も、東亜の大民族たる日本人も、ともに雄飛すべき舞台から鎖されてゐる。すなわち我々は、民族的発展のための前提条件たる空間が制約されてゐるのである。我々は狭隘なる国境内に悲惨なる生活を為すべく余儀なくされ、自由な活気ある真の生活を営むことができないのである。
 東洋と西洋とを結ぶこのツラン地帯は一つの完全なる統一体であるから、支離滅裂の混沌状態に放つておいてはならない。それは組織的永続的生活の連続的統一体であらねばならぬ。それがためには、総てのツラン民族は団結しなければならぬ。ツラン民族の生活は組織的でなくてはならぬ。そしてそれは気品あるツラン伝統に根を張るツラン精神の発展でなくてはならない。
 東欧は人種的にも思想的にも東洋でもなければまた西洋でもない。この混合民族は西洋の指金によつて生れた東とも西ともつかぬ汎スラブ主義思想を拐り棄てゝ、全然、西欧に合体するか、あるひは、祖先伝来のツラン精神に復帰するか、今や二つに一つを決すべき転換期に到達してゐる。而してこの後者を選らばんと努め、最も民族的に覚醒しつゝあるものは、我々マジャール人である。我々は自分たちの亜細亜の兄弟を「蛮族」などと軽侮したり、彼らの民族的蹶起、彼らの精神的復興を、西欧白人におけるがごとく、危惧の念をもつて眺むるものでは決してないのである。
 ツラン民族の広大なる居住地域において、その生活は統一的で、文化は共通である。このツラン文化の発展を促すために、その伝統的原始産業、一般的小工業および国民的基礎に立つ大工業等を発達せしめなければならない。そのためには、魂のない寄生的存在である、あの巨大株式組織も、カルテル組織も共に、ボリシェヴィズムと同様、我々の仇敵である。ただ両者の異なるところは、後者はテロルによつて人間生活を圧殺するのに對し、前者は限りなき競争組織により人間生活を圧迫し、総ての真正価値を紙に替へ、投機によつて絶滅し、生産者と消費者との連絡を絶ち、經濟生活の外的および内的の正しい調整を破壊し、いまだ国際的信用組織網に織りこまれざる村落生活を、根柢から覆さうとするものである。舊ツァール帝国においては、彼ら国際主義者は、ボリシェヴィキ暴力革命によつてまず伝統的・族長的・ツラン民族的文化を破壊しなければならなかつた。蓋しこれは、自然的自治的原始産業者に人為的工業化の足械を強制するために、不可欠な道程であつたからである。このボリシェヴィキ革命は、たゞに農業国の生活を破壊したばかりでなく、これと有機的に関連して、自然的に発達した真正の国民的工業国をも崩潰せしめてしまった。
 しかし、いかに相互依存関係にある工業地方といえども、その度を越えて発展膨張するときは、すでにそれ自体活ける有機的世界組織の一部分ではなく、荼毒的腫物と化する。かくのごとき潰瘍が、あたかも現代世界破局の原因となり来つたのである。
 日本から洪牙利に至るツラン人種の世界は、人種的立場から観ても、また民族精神の立場から観ても、はたまた地理的および經濟的立場から観ても、まことに都合よき統一体である。もしこれらの民族が一致協力して、その種族的民族的性質・世界観・伝統等に従ひ、その独自世界の政治的および經濟的特殊関係をいよいよ発展せしめ得るならば、現在の功利主義的国際協調主義より出でたる国際聯盟よりは、ヨリ強固な、皇・王道的なツラン国際聯盟が誕生しうるであらうことを、私は信じて疑はない。そしてこれが、国際関係の動揺常なき不安定状態を防ぎ、そして世界平和の基礎ともなるであらう。……(ママ)この宏大にして豊沃なる農業国の生産物は、ただに西部辺境諸民族の需要を充すばかりでなく、東亜の発達せる工業に必要な原料をも充分に供給することができるであらう。
 またツラン民族は、欧亜に跨る広大なる地域に離ればなれに散在してゐるにも拘らず、その世界観がほとんど一致してゐることは真に不可思議な現象である。この共通なツラン精神から、近き将来において、一つの新しい文化、新しい經濟組織、新しい政治組織が生れ出るであらうことを私は確信する。さらに欣ぶべき現象は、反ボリシェヴィキ、反パン・スラヴ的ロシア人の間にもまた、我々と同様の思想を抱懐せる者を見出すことである。これはツランの復興がいかに東欧およびスラヴ人の間にも歓迎されれつゝあるかの一つの証左に他ならない。
 かくのごとく、いまやユーラシア大陸においては、新しい精神世界、新しい經濟世界、新しい政治世界が生れ出でやうとしてゐる。この機運を促進して同胞の運命を開拓するためには、我々ハンガリー人の小さな物質的および精神的力だけでは充分ではない。ここに、我々は極東の兄弟から何分の協力と援助を懇請する次第である。しかし、我々の仕事は前にも述べたごとく公のものではなく、国民的の文化運動である。同族の救護、人類文化の物心両面の発展を促すといふ真正なる使命達成のためには、どうしても我々は、ツランの盟主と仰ぐ日本國民と常時連絡を保持することが肝要である。この目的のために、われわれ西部ツランの統率者をもつて任ずるハンガリー國民は、東部ツランの指導者、偉大なる日本國民からの常設的ツラン代表を、なるべく速やかに当地へ派遣せられんことを切望してやまない次第である。(『ツラン民族圏』三三五~三四三)

●この透徹せる文明的洞察より湧きでた潑剌たる叫びは、必ずや諸賢同志の胸奥に熱い発憤を呼び覚すものと固く信じ、ベーカーシ・ジュンジ女史のわが日本國民に宛てた檄文の全文を紹介した。時代状況の些少の差異を差引いて考えれば、それはまさにツラン新文明の誕生を宣言する呱々の声ということができる。これを自らに承けて、いかに育てるか、それが我々に問われているのである。

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