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 朋有り、トルコより来たる ─ ツラン同盟の始動 
            (世界戦略情報「みち」平成21年(2669)9月15日第301号)


●去る八月後半の一日に、あるトルコ人青年を迎えた。その名前をシナン・レベントさんという。二六歳の青年である。シナンさんは地中海沿岸の田舎町に生まれたが、成績優秀だったので、首都アンカラの大学で学んだ。専攻は歴史学、特に「トルコ日本交流史」がテーマである。トルコと日本の関係を研究する内に、戦前にハンガリー人有志の提唱する「ツラン同盟」を日本で大いに鼓吹した今岡十一郎(いまおかじゅういちろう)(一八八八~一九七三)という人物を知った。そして俄然興味をもち今岡を博士論文の研究対象に定めた。東京大学に三年間留学して、秋からは早稲田大学博士課程で「ツラン同盟と今岡十一郞」をテーマとして研究を続ける、とシナンさんは話している。
●トルコ人の樹立したオスマン帝国は実に偉大な帝国であった。人種・宗教の異なる多くの多民族を擁して平和裡に共存させつつ、建国(一二九九年)以来六百有余年の長きにわたって存続したのである。この偉大なるオスマン帝国を蚕食することによって成立したのが近代ヨーロッパだった。世界帝国が崩壊して国家滅亡の瀬戸際に瀕して初めて、トルコ人は自らの民族的自覚に目覚めたのだ。だが、西欧物質文明の滔々たる侵略の魔手が実際にトルコを呑み込んだ。その国家滅亡の危機に立ち上がったのがケマル・アタチュルクを中心とする青年トルコ党の志士であった。近代国家トルコ建国の方策の一つに、明治維新を成し遂げてロシア帝国を破った日本と相結んで西洋列強の侵略に抗しようとしたのが、トルコの「ツラン同盟」である。だが、日本は未だ非力で、それは余りにも壮大な夢に終わり、実際の革命はロンドンでジウゼッペ・マッチーニ指揮する世界フリーメーソン運動に与することによって成ったのである。日本の明治維新が英仏東インド会社の謀略工作であるフリーメーソンと密接な関係を有したのと軌を一にしていよう。
●アジアが一つに纏まることは歴史の自然であった。そして、遙かなる昔に相別れたツランの兄弟たちが相結ぶのも歴史の必然である。だが、「アジア人のアジア」が成立すると具合の悪い連中がいた。植民地なしでやって行けない西欧列強である。トルコも日本も、その西洋列強に加担することによって今日まで国家を存続させてきた。だが、その歴史の流れもいま大きな転換点を迎えている。国家も人もそれぞれ重大な運命と使命を担って新しい流れへと乗り出そうとしている。
●このとき、シナン・レベントさんが私たちの元にやって来た経緯を考えると、運命としかいいようがない。若き同志長田拓馬と大田原進がオリジナルTシャツのネット販売を始めたのは数年前からで、その店名が「ツラン堂」だった。シナンさんがインターネット検索していると、「ツラン堂」という名前に引っかかった。「何で日本に、ツランを名乗る奴がいるのだ!」というのが正直な感想だったという。いまトルコでも「ツラン同盟」などという言葉を出すと顰蹙を買うのが落ちだそうだ。シナンさんは長田拓馬に連絡をしてきた。メールの遣り取りを重ねていよいよ会うことになったのである。
●大風呂敷といわれようと結構である。今こそ、ツラン民族が遙かに相集って手を携え、共に「道義の文明」を打ち立てる夜明けであると私は確信する。このとき「ツラン同盟」の研究を志す一人の青年志士が遙かなるトルコよりやって来た。ようこそ日本へ、ツランの友よ!

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